実施報告
実施日 2010年2月5日(金)~7日(日)
横浜焼酎委員会の蔵元訪問の研修会も恒例となって4回目を迎えた。今年は待ちに待った球磨人吉方面である。6月の大選集には連続8回皆勤参加の寿福酒造場さんはじめ、球磨・宮崎の蔵元さんにようやく訪問できることとなった。
球磨は熊本県だが熊本市内からは遠く、空港としては鹿児島空港を利用する方が便利だ。今回も研修会の一切を企画調整してくれた(株)DMC沖縄の徳田さんと先乗りしたメンバーと鹿児島空港で合流してスタートとなった。
一日目(2月5日)
□日本三大車窓 肥薩線「しんぺい号」
1日目の午前中は横浜からの移動で費やした。鹿児島空港から貸切バスに乗り、途中昼食をとって肥薩線「しんぺい号」で人吉に入る。球磨人吉地方は四方を山に囲まれた盆地。鹿児島側からは加久藤カルデラの火山壁を越える急峻な峠越えになる。着工から4年の歳月を経て明治42年開通した吉松~人吉間の通称「山線」は、標高差430mを登りきるために2カ所のスイッチバックとループ線がある。途中、日本三大車窓といわれている見どころもあり、峠を越えるとその車窓からは人吉盆地ののどかな景色が見える。
■球磨焼酎研修その1.「繊月酒造」
繊月酒造に到着すると、横浜大選集に毎年来てくれている堤純子さんが出迎えてくれた。明治36年創業。創業当時から自前の杜氏を抱え、歴代の杜氏が独自に開発した技術や工夫がうまく継承されている。右の写真は江戸時代から明治時代の創業時代に実際に使われていた蒸留器で工場の敷地の片隅に展示してある。淋豊嘉(そそぎとよか)3代目杜氏の発案で始められた甕貯蔵で50年を超える古酒は、その伝統を引き継ぐ姿勢に今も守られている。
■球磨焼酎研修その2. 「寿福酒造場」
明治23(1890)年創業。球磨焼酎の28蔵元の中で、唯一女性杜氏が「常圧蒸留ひとすじ」で造っている。その名も皆様ご存じ、寿福絹子さん。こだわりの原料はもちろん地元産新米100%。麹室の前で焼酎造りを熱く語る絹子杜氏。今回の当委員会の焼酎研修会の様子が地元紙「熊本日日新聞」に掲載された。
□懇親会「ひまわり亭」
この研修会で訪問させて頂く球磨の蔵元さんと懇親会を開催した。横浜大選集の場内に陳列焼酎として並んでいる約300銘柄の焼酎は地元の酒販店にご協力頂いて買い集めているが、球磨地方の焼酎でお世話になっている鳥越商店さんも駆けつけた。
会場の「ひまわり亭」は球磨川沿いに立つ、旬の地元素材を使ったお母さん達の家庭料理を中心とした創作料理の店。料理からも球磨の人の温かさが伝わってくるようだ。 夜まで焼酎談義が続いた。
二日目(2月6日)
■球磨焼酎研修その3. 「那須酒造場」
大正6年創業の那須酒造場は、創業以来「もろぶた」による麹造り、甕仕込みなどの本格手造りを守り続けて家族で造っている蔵元だ。「毎日の晩酌にご愛飲頂けるような焼酎を造っていきます」とは那須さんの言葉。原料も地元産にこだわってひとつぶ一粒を丁寧に扱っている。今回訪問したのはいつもはお休みの土曜日だが、訪問する時刻に合わせて、丁度米を蒸し上げてくれていて一行は仕込みの現場も体験させて頂いた。那須さんに感謝! 作業場の窓からはのどかな風景が広がる。
■球磨焼酎研修その4. 「木下醸造所」
水路沿いの道を入るとまもなく「ブンゾウ」の煙突が見える。今は使われていないそうだが辺りの風景とよくマッチしている。出迎えてくれた木下さんは首からキッチンタイマーを下げていて、ちょうど蒸留が始まる時刻を見計らってくれていた。蒸留器に蒸気を入れるとまもなく冷却塔に繋がったパイプの先端からハナタレが注ぎ出る。蒸留の瞬間の見学だ。焼酎好きには堪らない瞬間だ。が。最初のハナタレは雑味が多いので除外。少しして安定してからコックを切り替えて本物のハナタレの誕生だ。
蔵の創業は文久2(1862)年だそうで、148年の歴史があるので何代目になるのかはよく分からないそうである。その当時から建てられている古いお蔵には地下にも大きな水槽があって焼酎が出荷の時を待っている。製法は甕で仕込む伝統の常圧蒸留で、すべて手作業で丁寧に造られている。杜氏の木下さんは大学時代に横浜で過ごされたそうで、話を聞くうちに高校も横浜の有名進学校出身と聞いて一同(*_*)仰天。
■球磨焼酎研修その5. 「松本酒造場」
「萬緑」ののれんをくぐると綺麗にディスプレイされた店内に入る。しばらく待つと作業途中の手を休めて松本さんが出迎えてくれた。工場内を案内してくれて、球磨焼酎の製造工程も分かり易い図に描かれている。ここは酵母も自前で作っているという珍しい蔵。温度管理も難しいのではないだろうか。松本さんは「生き物を扱っているので人間の都合では休めない。」と、壁には細かく仕込み日程のスケジュール表が貼ってある。入口から蔵の至る所まで松本さんの几帳面さが表れているのを感じて、「この萬緑を飲む時は正座して飲もう。」と思った。
□球磨川下り「こたつ舟」
今日は午前中に3蔵の訪問を終え、午後からは球磨地方の観光だ。この時期は少々風が冷たいが、日本三大急流のひとつ「球磨川下り」を楽しんだ。江戸時代に人や物資を運ぶための運搬船が起源とか。用意されたのはこたつ舟に鮎寿司のお弁当。球磨焼酎をガラとチョクで頂きながら球磨川下りの風情を堪能した。
□「永国寺(幽霊寺)」
600年を超える歴史ある曹洞宗の寺院。歴史を感じさせる逸話と史跡が残されている。境内には人吉・球磨地方で最も古い五重石塔(現在は四重)もあるが、開山した実底超真和尚が描いた幽霊の掛け軸と逸話が残されている。(西南の役で消失、明治24年再建)
□「青井阿蘇神社」
平安時代のはじめ806年の創建で、建物は桃山時代に再建された。本殿、廓、幣殿、拝殿、楼門は、建築物としては国内最南端の国宝に指定されている。
一同参拝のあと宮司さんにご案内を頂きました。福川宮司さん、ありがとうございました。
□球磨の宴 「金七」
球磨最後の夜に昨日参加できなかった蔵元さんも含めてもう一度懇親会を開催した。やきとりを中心に魚料理や揚げ物も出してくれる地元でも評判のお店の肴をつまみに、球磨焼酎を戴きながら蔵元さんと一緒に盛り上がった。
□球磨の宴 「開」
鳥越商店さんの二階にある「開」。球磨焼酎を専門に扱う鳥越商店さんだけあって焼酎の銘柄は豊富。1杯ずつのショットで飲めるので多くの銘柄を楽しめる。最後の球磨焼酎を堪能しながら蔵元さんと夜遅くまで話し込んだ。
三日目(2月7日 最終日)
■宮崎焼酎研修その6. 「柳田酒造」
今朝は人吉から一気に宮崎都城市まで行くので、焼酎のためならと少々早起きして出発は7:30。宮崎自動車道でえびの高原を越えて一路都城へ。
柳田酒造の柳田さんは、日曜日の朝早くから出迎えてくれた。この蔵は芋焼酎圏の宮崎・都城で、麦焼酎だけを造っている。早速、都城が島津氏の発祥の地であり、文化圏は薩摩に近いことや柳田酒造の歴史のお話を頂いた。家族とご自身を育ててくれた主力銘柄「駒」を大切にする気持ちと、「赤鹿毛」、「青鹿毛」の誕生秘話を熱く語ってくれた。その焼酎造りに掛ける情熱が伝わってくる。是非また横浜で話の続きがしたい。
□宮崎の酒販店 「税所酒店」
こちらも大選集でお世話になっている酒販店の税所酒店さん。定休日であるにも拘わらず私たちのためにお店を開けてくれた。今回の研修会で最後の買い物だ。皆、一斉に焼酎瓶をレジに運んでレジは大渋滞! 次の予定があるのでガイドさんに気をもませた。
□「地鶏料理 ふれあいの里」
横浜では衛生管理の指導で、鶏刺しを食べさせる店はほとんどないが、宮崎にはこんな店があるのか!
写真全部、鶏の刺身だ!めったにお目にかかることもない珍しい内臓も並ぶ。 薩摩、秋田比内、名古屋コーチンの日本三大地鶏には入っていないが近年の宮崎の鶏肉出荷量はそれらを抜いているとか。
■宮崎焼酎研修その7. 「渡邊酒造場」
大正3年創業。この蔵は芋焼酎と麦焼酎を造っている。そして、芋焼酎の原料となる芋は自家栽培だ。到着したのはちょうど麦焼酎の蒸留が終わったところだった。これは、この蔵の隠れた名酒「鶴の荷車」の原酒だそうだ。生まれたての原酒が入ったタンクを覗くと、まだホカホカとした温もりと、炭酸ガスの強烈な刺激が伝わってきた。この荒い酒が10数年の歳月をかけてあの芳醇な酒へと生まれ変わるわけだ。研修会最後の行程で到着時刻が予定より随分遅れて、渡邊さんにはゆっくり話を聞くことができなかったのが心残りだった。
★まとめに
球磨焼酎蔵元訪問5蔵。宮崎県内焼酎蔵元訪問2蔵。酒販店1軒。新聞取材1件。
四方を山に囲まれた球磨人吉ののどかな風景とそれに似たお人柄を感じながら戴く球磨焼酎に、あらためて球磨焼酎の旨さを再確認した。今まで飲み方は直燗かロックと決めていたのに、更に、お湯割りよし、球磨川下りで飲んだぬる燗も再発見だった。
最後に、今回の研修会に快くご協力くださった球磨、宮崎の蔵元さん、そして球磨の皆さん、大変世話になりました。それから都合で今回はお会いできなかった県庁の田中さん、現地の情報をご提供頂いたお陰で実に充実した研修会となりました。あらためて皆様に感謝して球磨・宮崎焼酎研修会のご報告と致します。