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鹿児島・芋焼酎研修会報告

実施報告
実施日 2007年11月17日(土)~19日(月)

 横浜焼酎委員会2回目の遠征となる「鹿児島・芋焼酎研修会」。前回の沖縄・泡盛研修会に続いて、横浜大選集に毎年多くの参加を頂いている鹿児島の蔵元を訪問した。当委員会の正会員の過半数に当たる19名が参加し賑やかな研修会となった。鹿児島市内からは、どこにいても桜島が歓迎してくれる。



鹿児島空港に昼前に到着した一行は、今回の研修会をコーディネートしてくれたDMC沖縄の徳田さんと合流して、全国的にも有名な薩摩地鶏の「地鶏料理みやま霧島本店」で昼食となった。 放し飼いにした鹿児島産の地鶏を毎朝、使うぶんだけさばくため、内臓は刺身で食べられるほど新鮮。 薩摩地鶏には、やっぱり芋焼酎が合う! 早速、鹿児島での初芋焼酎で乾杯!



■芋焼酎研修その1.「佐藤酒造」
「佐藤酒造は、本格焼酎を生んだ鹿児島の歴史と、我が蔵と、焼酎を支えてきた人たちの思いに誇りを持ち、高い意識と意欲をもって、常により良い焼酎造りに励み、揺るぎない信頼のもとに、世の中を支える企業としてあり続けます。」というだけあって、社員の皆さんの焼酎造りの眼差しが真剣だった。



■芋焼酎研修その2. 「国分酒造」
「食事との相性のいい、飲み飽きしないタイプの"いも焼酎"を念頭に皆様のところへお届けしたいと考えております。」
特に今年の芋焼酎は、ここ数年で一番出来がいいらしい。「さつま国分」は間もなく今年仕込んだ新焼酎が発売されるので、2007年仕込みの芋焼酎が楽しみだ。また、昨年から発売した「蔓無源氏」も2年目を迎えて原料芋の収穫も順調だったのでこちらも楽しみにしたい。
蔵の一角の芋畑で、最後の芋の収穫を体験させて頂いた。横浜育ちの私達は芋畑で「芋蔓式」を体験。大はしゃぎであった。

□鹿児島観光1.「磯庭園」
万治元年(1658)に19代島津光久がこの地に別邸を構えたのが始まり。桜島を築山とし錦江湾を池に見立てた雄大な借景庭園が仙巌園(せんがんえん)であり通称「磯庭園」と言われている。背後には磯山、春の千本桜、秋の菊まつりなど、ここは鹿児島の四季と薩摩の歴史が美しく行き会うところ。
ということだが、今回は焼酎蔵の見学が熱心過ぎて時間がなくなり割愛となった。

二日目(11月18日)
□鹿児島観光2.「奄美の里」
奄美の里の入り口には季節の花々が四季折々に咲いている。この中で織りなす極彩色の世界は訪れた私たちをすっかり魅了しました。また、本場大島紬の資料館と展示もじっくりと見学してきました。

■芋焼酎研修その3.「さつま無双」
芋焼酎と言えば鹿児島、と言われるほど鹿児島県の特産品として有名です。それをさらに日本の焼酎へと大きく飛躍、発展させるべく「さつま無双」と命名し、昭和41年5月鹿児島県酒造協同組合傘下の全業者の協力の下に創設され、その名を日本国中はもとより海外にまで広げるに充分な活躍をして、昭和46年2月に組織変更して「さつま無双株式会社」となり今日に至っています。
蔵には観光用の展示室が設置されていて、ガラス越しに製造工程を見学できるようになっています。右の写真は「麹室」で左が白麹、右が黒麹。

□鹿児島観光3.「知覧武家屋敷」
知覧は「薩摩の小京都」といわれ、生け垣と石垣が美しい武家屋敷が今も残っている。他の地域の武家屋敷の石垣は野石乱積みが多いが知覧の石垣はきれいな切石整層積みが中心で石垣の上の見事な生け垣と共に清潔感あふれる風景をつくっている。
武家屋敷の門を入るとすぐの所に庭園があるのが普通であったらしく、今も7つの庭園が昔ながらの姿で良く残っており国の名勝に指定されている。

□鹿児島観光4.「知覧平和記念館」
昔は薩摩藩の軍事行政上の拠点であった知覧。太平洋戦争時代は本土最南端の知覧飛行場より、陸軍の特攻隊員約1000名が飛び立って行き、帰らぬ人となった。知覧特攻平和会館は人類史上類のない爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示している。
特攻のエピソードのうちガイドさんが話をしてくれたのは、明日特攻する宮川隊員のエピソードである。特攻隊員達から「おかあさん」と呼ばれた鳥浜とめさんに、宮川隊員が「明日敵艦に体当たりしたらホタルになって必ず戻ってきます」と伝えた。其の夜、一匹の大きなホタルが富屋食堂の中に入ってきた。
鳥浜とめさんが皆に「宮川隊員がホタルとなって帰ってきたよ。」と言うと全員で同期の桜を歌い迎えたと言う。あまりにも悲しい歴史であるが指宿地区の観光地となっている。

■芋焼酎研修その4
.「佐多宗二商店」
蔵人の半分以上が20~30歳代と比較的若い人間が焼酎を造っています。3年前に蔵を新築して衛生的で近代的な大型設備で芋焼酎が仕込まれています。佐多宗二商店さんの今後がますます楽しみです。
写真は、指宿枕崎線=鹿児島中央駅から薩摩半島の東岸と南端を廻り、指宿を通って枕崎駅に至るJR九州の鉄道路線で、JRグループで最も南を走る路線である。次の写真は
佐多宗二商店工場内から開聞岳をバックに。


□鹿児島観光5.「唐船峡 流しそうめん」
流しそうめんで涼やかな昼食を。って、鹿児島もすっかり秋から冬の季節になってきたのに・・・。と思いながら「流しそうめん」を味わってきました。ここの流しそうめん器は特許物で、4~5人で囲んだそうめん器の外周をそうめんが流れます。竹樋の流しそうめんより確実に食べられるのでグッドです。
そうめんの腰、そうめんが流れる速度、めんつゆ、ともとてもおいしく頂きました。




□鹿児島観光6.「二月田 長太郎窯元」
二月田温泉は薩摩藩主第27代島津斉彬公が建てた温泉行館が明治になって民間に払い下げられたものである。
この二月田温泉の近くにある「長太郎窯元」の初代長太郎が「黒千代香」を命名し、今でも鹿児島では「黒ジョカ」として親しまれている。「元祖黒ジョカ!」 横浜焼酎委員会の備品のひとつに加えることにしました。

■芋焼酎研修その5.「指宿酒造」
薩摩芋(甘藷)はその名の通り薩摩が発祥の地。特に南薩摩は全国でも有数の[芋]どころと知られています。[芋]づくりの最も盛んな南薩摩に位置する指宿酒造協同組合では原料の[芋]を手間のかかる有機農法で、地元の農家へ委託生産。[芋]どころとしてプライドを守りながら、人に優しい自然へのこだわりも大切にしています。

三日目(11月19日)
□鹿児島観光7.「天璋院篤姫」縁の地「今和泉」地区付近散策
今和泉島津家の屋敷は鹿児島(鶴丸)城の東北に位置する大龍寺(現大龍小学校)の西隣にあり、篤姫はここに生まれ育った。現在屋敷自体はないが、当時を偲ばせる石垣が通りに面して残っている。篤姫は嘉永六(1853)年、島津斉彬の子として約2ヶ月余りを鹿児島城で過ごした後、京都や江戸へ向けて出発した。この時篤姫は、磯の浜辺から見た桜島の絵を持って鹿児島城下をあとにしたという。
来年から始まるNHK大河ドラマ「篤姫」の縁の地を一足先に見学してきました。

■芋焼酎研修おまけその1.「コセド酒店」
毎年、横浜大選集でお世話になっているコセド酒店さんに寄ってきました。鹿児島の焼酎はじめ、各地の焼酎、日本酒、ワインが豊富に取り揃えられている。


□鹿児島観光8.「鹿児島ラーメン」
鹿児島ラーメン(かごしまラーメン)とは、鹿児島県や宮崎県都城市周辺の専門店で供されるラーメンである。
スープは豚骨ベースで、鶏ガラや野菜も使う半濁スープである。地理的・歴史的な要因から、九州のラーメンの中では唯一久留米ラーメンの影響を受けていないと言われる。麺はかんすいを使わない白い直流の中太麺が多い。また他のご当地ラーメンに比べ、横並びにパターン化しておらず店ごとにスープやスタイルが大きく異なるのも特徴と言える。
ラーメンには関係ないが、注文すると漬物(大半は、甘酢大根の千枚漬け)が出されるという特徴がある。福岡や熊本のラーメンに比べると全国的な知名度はやや劣るが、ご当地ラーメンとして根付いている。


□鹿児島観光9.「加治屋町 ふるさと維新館」
幕末から明治時代の初め、近代日本の黎明期に鹿児島(薩摩藩)からたくさんの偉人が誕生しました。中でも、現在の加治屋町である下加治屋郷中からは西郷隆盛、大久保利通をはじめとして近代日本の礎を築いた多くの人たちが生まれました。藩政時代、薩摩では城下の居住区をいくつかの区域に分け、区域単位で子弟の教育を行いました。今の学区制の基本形だと思いますが、この単位を「方限」とか「郷」と呼び、その中の教育機関として、「郷中」が出来たようです。郷中では、長幼の序が厳に守られました。薩摩藩には幕末の頃33の郷中があり中でも下加治屋町郷中は、高麗・上之園・上荒田の3郷中と並んで幕末から明治にかけて多くの逸材を生み出した事で大変有名です。

 


★まとめに
かくして一行の怒濤の3日間は終わりを迎えました。芋焼酎製造蔵元訪問5蔵。鹿児島観光スポットもまわってきました。ひとまず我々は念願の鹿児島に触れることができて、あらためて鹿児島および芋焼酎の虜となったのでありました。
鹿児島空港では、帰路に就いた私達を霧島連峰高千穂峰が最後の見送りをしてくれました。
空港上空より、桜島、錦江湾(鹿児島湾)を望む。

最後に、今回の研修会に快くご協力くださった蔵元さんに感謝して鹿児島・芋焼酎研修会のご報告と致します。


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