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沖縄・泡盛研修会報告

実施報告
実施日 2007年1月27日(土)~29日(月)

 横浜焼酎委員会初めての遠征となる「沖縄・泡盛研修会」。当委員会専務理事の徳田が昨年9月から沖縄へ移住したのを機会に、「激励」とかこつけて会員14名で押し掛けました。

那覇空港へ到着した一行は、空港近くの「しろま食堂」で早速沖縄B級グルメの第一弾「てぃあんだー(お母さんの手料理)」で腹ごしらえ。沖縄風ののれんをくぐると城間のお母さんが元気な明るい声で「めんそーれー(ようこそ)」と言って迎えてくれました。
この店、空港近辺の観光バスが乗り付ける店じゃありません。ウチナーンチュが通う地元の小さな食堂です。徳田が沖縄ではじめて知った沖縄のお母さんの味です。横浜から友人が来ると相談したら、前日から腕によりをかけて、沖縄の料理で迎えてくれました。
地元の野菜に島人参やテビチを炊き込んだおでん風の煮物。沖縄独特の豆腐の汁物「ゆし豆腐」。葉の裏側だけが紫色のハンダマと海草の酢の物。沖縄の郷土料理に満足して、早速次の泡盛研修に出掛けました。

■泡盛研修その1.「石川酒造場」
次世代へ残していく伝統の味、泡盛造りで唯一のモロミ甕発酵、甕貯蔵を守り続ける酒造所です。琉球王朝時代、泡盛づくりは、首里城の南東にある三箇(三つの村)でしか許されませんでした。その首里三箇の流れを受け継ぎ、昭和24年に首里寒川の地に再興。社長は東京農業大学の客員教授も務めています。
泡盛製造の過程で黒麹が生成するクエン酸にも着目し、蒸留後の酒粕(かしじぇー)を使った「もろみ酸」を初めて商品化しました。クエン酸やアミノ酸が含まれる「もろみ酢」は健康飲料として注目されているそうです。

□沖縄観光1. 「中城(なかぐすく)」城址(世界遺産)
この城は13世紀後期以来2世紀に亘って築かれてきたらしく、現在の城郭は約4,000坪。
1458年の「護佐丸・阿摩和利の乱」が有名。中城湾を挟んだ勝連半島・勝連城の阿摩和利の台頭を恐れた琉球王が、当代一の武将の誉れ高い護佐丸を城主として阿摩和利の抑えとしたが、阿摩和利が護佐丸謀反を言い立てて、王軍として逆賊護佐丸を滅ぼした。ただ、謀反の真偽は定かではないようでそれぞれの地域では二人共後世に伝わる英雄となっている。
城址からは太平洋も東シナ海も見渡せる絶好のロケーション。沖縄では桜の見頃は1月。本土のソメイヨシノとは種類が違う寒緋桜(かんひざくら)である。

□沖縄観光2.「中村家住宅」
今から約500年前、中村家の先祖賀氏は、忠臣かつ琉球王国きっての築城家としてもその名をとどめていた護佐丸(中城城主)が読谷(本島中部)より城を中城に移したとき、共にこの地にその師匠として移ってきたと伝えられています。その後、護佐丸が勝連城主の阿麻和利(あまわり)に滅ぼされてしまうと、中村家の先祖も離散の憂目にあいました。1720年頃、ようやくその家運を盛り返し、この地方の地頭職(本土の庄屋にあたる役職)に任ぜられました。
沖縄では建物の屋根にシーサーが飾ってあり、災いを寄せ付けないというお守りの意味を持っています。ここ中村家のシーサーは大きさも立派で、キングオブシーサーと称されています。

■泡盛研修その2. 「神村酒造」
明治15年の創業で、戦後は琉球民政府の5つの官営工場のひとつとして事業再開。昭和24年には官営から民間に移管され、現在に至っています。主な銘柄の「守禮」は、最近では20年古酒を販売し、また「暖流」は、樫樽貯蔵泡盛の先駆けとなったブランドなど商品開発も積極的です。
泡盛製造工程を見学させて頂きながら、もろみを仕込んだタンクに耳を押し当てると仕込み3日目のタンクの中からプクプクと発酵している音が聞こえるのには神秘的な感動がありました。この発酵がおいしい泡盛を作り出すもろみの秘密なのでしょうね。
工場見学を終えて次には「古酒蔵」を案内して頂きました。棚には5年間の貯蔵を待って泡盛がズラリと貯蔵してあり、一行もこの地下室に泡盛43度の「横浜焼酎委員会来沖記念ボトル」を預けました。5年後の開封にはまた皆で引き取りに行けますように、それまで健康で頑張りましょう。
この日の宴は、神村酒造の中里営業部長とともに、この古酒蔵で美味しい泡盛をいただきながらBBQ(B級グルメ第2弾)で語り合いました。

二日目(1月28日)
□沖縄観光3.「座喜味(ざきみ)」城跡(世界遺産)
座喜味城跡は本島中部西海岸の名勝残波岬のある読谷村にあります。世界遺産に指定される以前から公園として整備されており、入口には歴史資料館もあります。入口から城門に至る道は美しい松林に囲まれていて、鳥瞰すると細長い形をした城が多い中で、この城は実にバランスのよい正三角形に近い形をしています。また城壁や城門の石積みの精巧さ、美しさは沖縄の城の中でも随一と言えるでしょう。



□沖縄観光4.「琉球村」
琉球村はむかしの沖縄の文化を理解してもらうために建設されました。琉球列島にある各地の古い民家を移築して後世に伝えるため大切に保存されていました。
広場では琉球王朝時代に踊られていた宮廷舞踊、獅子舞、エイサーなど年中行事が道ジェネー(沖縄風パレード)で凝縮して披露されました。
琉球村の民家でおばあが作りたてのサーターアンダギー(黒糖と小麦粉の揚げ菓子)を頬張って縁側でお茶をすすれば、まるで琉球の昔に旅したような気持ちにさせてくれます。

□沖縄観光5.「謝名亭(じゃなてい)」
首里城下にあった当時の大臣の邸宅を再現した建物。書院風の造りと南国的な庭園の魅力は沖縄サミットでも利用され好評を博したロケーションです。
読谷紅豚は読谷村自慢のブランド豚です。予約では注文できない1日限定15食の「読谷紅豚ソバ」を横浜焼酎委員会のために特別に全員分ご用意いただきました。
沖縄ソバはお店の数だけ味があるといわれます。かつおだしをベースに各店特有のだしをとり、塩で味付けをしたスープに、小麦粉でつくったソバ、豚の三枚肉。基本スタイルは決まっているけど味は個性。少し薄味でとても上品な沖縄そばでした。



■泡盛研修その3.「(合資)比嘉酒造(糸満)」

酒造所内に常設された1Fフロアー「泡盛まさひろギャラリー」では、ゆったりとくつろげるゲストホールを始め、試飲やショッピング、製造過程のビデオ上映などが行われています。
2Fフロアー「泡盛歴史資料ギャラリー」では、泡盛造りに欠かせない年代物の道具類や500年前の酒ガメの展示、戦前、戦後の泡盛製造の写真など貴重な歴史資料、泡盛コレクター座間味宗徳氏が30余年の月日をかけて収集した数百点にのぼる泡盛やそれにまつわる資料品を見学することができます。  戦争によって破壊されたものは、心に刻まれていても、それを集めることはただならぬ苦労。しかし泡盛の文化を伝え、時代とともに夢を育てるため、比嘉酒造の夢を形にした『見せる・楽しめる工場』でした。

□沖縄観光6.「識名園」(世界遺産)
識名園は琉球王家の別荘で、王族の保養や外交の接待の場として使われました。1700年代後半に造られた庭園で、池の周りを歩いて景色を眺める「回遊式」になっています。建造物は「琉球式」と「中国式」が共存し、独特の雰囲気をかもしだしています。
代が替わって新しい王が座に着くと、中国からの使者を迎えて半年に渡る接待に使われたと伝えられています。

□沖縄観光7.「首里」城跡(世界遺産)
首里城は、琉球統一王国成立以降の国家の中心地であり、栄華を極めた琉球王朝の象徴でもあります。しかし、国家成立以来、実に4度も焼失し、特に第二次大戦では陸軍司令部があったことから攻撃目標となり、壊滅状態になりました。現在の正殿などの建物は近年復元された新しいものです。今次大戦で焼失する以前は1700年代に建てられた古い正殿が存在しており、国宝に指定されていました。当時の遺構は今も正殿の地下に眠っています。

□沖縄観光8.「園比屋武御嶽石門」(世界遺産)
首里城正門前の道路を挟んだ向かい側にあります。守礼門と歓会門の間にあり、国王が外出する際に道中の無事を祈った場所です。石門には琉球石灰岩が用いられており、1519年、八重山の西塘(にしとう)が建築しました。
他の世界遺産が大きな面積を持つ遺跡群であるのに対し、園比屋武御嶽石門だけが単一の建造物です。本来、この石門の背後の森も含めて園比屋武御嶽なのですが、すでにその森の大半は失われ今では石門だけが残っています。

□沖縄観光9.御殿の宴「琉球茶房あしびうなぁ」美里御殿
尚寧王の時代17世紀以降、首里城の北側当蔵には八つの御殿が集中していました。御殿とは一間切りを領有し、王府の政治機構の中でも重鎖された特権階級であり、神殿親国と呼ばれた階層です。
その一つ美里御殿は、当時の三司官の住居屋敷跡でありましたが、庭園の一角を残し第二次世界大戦で焼失してしまいました。そして戦後すぐ、ここ美里御殿跡に屋敷が建てられ、現在店舗として利用されています。
御殿のお庭を眺めながら座敷で沖縄料理の数々をつまみに地元蔵元の泡盛で一杯やれば、懐古の琉球気分は最高潮に達します。

□夜の沖縄観光「Shot Bar あおい」
那覇市久茂地にある「あおい」には、お母さんが20年前から買い集めた10年以上の古酒が店の壁四面を覆い尽くしている。とにかくビンテージものが揃っていて、1杯いくらのキャッシュ on デリバリーで好みの泡盛を飲ませてくれる。泡盛ファンにはたまらない是非立ち寄ってみたいお店である。

三日目(1月29日)
■泡盛研修その4.「瑞泉酒造」
首里城下に由緒正しき銘酒を伝えていく酒造所として名高い瑞泉酒造。首里城瑞泉門のほとりに、沸きいづる清冽な泉「瑞泉」の名にあやかり名付けられた酒造所は、琉球王朝時代に泡盛造りを許された三つの町の一つ、首里崎山町で創業。
110余年の歴史ある酒造所は、古酒をメインとした酒造りにこだわり続けています。酒造所とは別の場所に古酒蔵を構え、沖縄一の貯蔵量を誇る泡盛が熟成の時を待ち続けています。 奇跡的に発見された戦前の黒麹菌で造った幻の泡盛を蘇らせた酒造所です。
右写真は、左から当委員会松信会長、佐久本社長、徳田、井出。

■泡盛研修その5.「忠孝酒造」
豊見城村の土壌に含まれる泥灰岩土壌(ジャーガル)と呼ばれる上質な土で、10余年の時をかけ、研究と鍛錬を繰り返し、先代自らが築き、焼き上げた忠孝南蛮荒焼は、育てる酒とそれを守る甕の見事な調和を奏でています。甕を叩くとカーンというなんとも心地よい金属音を発します。これが完全に焼き閉まった音で、泡盛の熟成を促します。その甕も社内の焼き窯で自家製造し、最高の甕が出来たのなら、最高の酒を…ということで生み出されたのが花酒つくりの「仁風」。
さらには、木造建築では県内最大級の木造貯蔵蔵を持ち、じっくりと熟成の時を待っています。大城社長の説明にも文化を大切にする心意気が漲っていました。

□沖縄観光10.「牧志公設市場・国際通り」
国際通りから牧志公設市場に入ると、沖縄のあらゆる食材が所狭しと並べられています。沖縄では市場を「マチグヮー」と呼びます。マチグヮーの主人公は元気なアンマー(お母さん)たち。牧志公設市場には沖縄の元気がいっぱいです。
1階が市場、2階が食堂街になっていて、魚屋には色鮮やかな熱帯の魚介類、塊のまま豪快に売られている豚肉、素朴な島野菜など、沖縄の食文化がひと目でわかるスポットでした。

 沖縄県庁の近くに位置する那覇市の国際通りは、全長約1.6kmにわたって土産品店やファッションショップ、レストランなどのオシャレなお店が軒を連ねています。沖縄県のメインストリートと呼ぶにふさわしい通りで、ホテルも数多くあります。国際通りは、太平洋戦争で廃墟となった那覇市の中でいち早く復興を遂げたため「奇跡の1マイル」と評された歴史を持っています。  今では沖縄の最先端トレンドの発信地となっているそうです。


★まとめに
かくして一行の怒濤の3日間は終わりを迎えました。泡盛製造蔵元訪問5蔵。沖縄観光スポットも世界遺産5カ所を含めてまわってきました。徳田さん曰く、まだまだ沖縄の観光スポットの何十分の一しか見ていないそうですが、ひとまず我々は沖縄に触れることができて沖縄および泡盛ファンになったことは言うまでもありません。
この続きは、またあらためて次回沖縄に訪れるときまで楽しみに取っておきましょう。そして、5年後に「神村酒造」の古酒蔵に預けた訪沖記念ボトルを皆で飲みに行くのも楽しみです。

最後に、今回の研修会に快くご協力くださった蔵元さんに感謝して沖縄・泡盛研修会のご報告と致します。

なお、沖縄に移住した徳田は、沖縄での企業研修などの企画、手配、受け入れなど、開催目的を主催者と共有してサポートする「DMC沖縄」という会社を沖縄県のバックアップを受けて立ち上げました。沖縄での企業研修などをご検討の際はぜひご相談ください。
「DMC沖縄」は、日本で初めての地域に根ざした本格的なデスティネーションマネジメントカンパニー(Destination Management Company)として2006年10月1日に開業いたしました。( デスティネーションとは、ミーティング等の開催地を意味しております。)


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